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人生後半の処世術について考えます

科学と占い②

判決で裁判官は次のように述べて、歴史学者に軍配をあげました。

- アーヴィングは多くの文書を発見し軍事史家として賞賛する部分も多い。しかし、リップシュタット側が提出した歴史資料の蓄積はお互いを補強しあい関連づいている。その膨大な証拠書類は、アーヴィングの史実の扱いが歪曲と間違いがひどすぎることをあらわしている。彼は、反ユダヤ主義という信念に合致する形で自分好みの歴史を伝えようとしてきたのだと、私は考える。したがって、リップシュタット側に正当性があると判断する。-

 

占いも人事(人間に関する出来事)を解釈するという点では、歴史学と似ています。命・卜・相といろいろな方法で、偶然の出来事に隠されている必然を知ろうとします。占いは、そのような推測の体系といえるかもしれません。

しかし、事実から推測する共通した手続きがないという意味で、占いは科学ではありません。誰がやっても同じ解釈が導かれる再現性のある理論ではないのです。

よく「〇×占いは統計学だ」という人がいますが、それは誤りです。というのは、大抵は、自分たちの主張に都合の良い事実ばかり拾い集めて、都合の悪い事実は無視しているに過ぎないから。しかも、主張を受け入れやすいように、白黒はっきりしたメッセージ性の強いもの(「〇×しないと地獄に落ちる」など)に捻じ曲げてしまう人だって多くいます。

 

では、占いは科学ではないから意味がないかというと、それも「科学万能主義」で誤りだと思います。人間の心を科学では救えなくても占いでは救えるということも多々あるから。占いには占いのやり方があっていいと思います。

とはいえ、占いがまったくのデタラメでは意味がないでしょう。推測の精度を高める努力はすべきです。そのためには、少なくとも、推測に都合の良い事実だけでなく都合の悪い事実にも目を向けること、そして考えることを放棄して単純な推測で終らないことが重要だと思います。