李克強の後天運と経歴
氏の命式を再掲する。
癸 壬 乙
亥 午 未
これに後天運もあわせて観てみよう。
79 69 59 49 39 29 19 9
甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛
戌 亥 子 丑 寅 卯 辰 巳
氏が共産党に入党したのは1976年(丙辰)で、庚辰の大運。宿命にはない第一守護神が周る大運だった。
その後、文化大革命が終息した1978年(戊午)に北京大学に入学、1982年に首席で卒業して、共青団の中央書記処に入るとともに、胡錦濤の知己を得て、以後、出世街道を突き進む。
1997年(丁丑)に党中央委員に選出、2007年(丁亥)には二段飛びで政治局常務委員に選出されて、習近平とともに胡錦濤の後継者と目されたが、氏を推していた温家宝が権力闘争に敗北、2012年に(軍部や保守派が推したとされる)習近平が党総書記となったため、党内の序列は第2位となった。
そして、2013年(癸巳)に李克強内閣が発足、経済政策として改革開放の推進を掲げて「リコノミクス」と呼ばれるなど注目されたが、改革に否定的で権力集中を強める習近平が経済政策の決定権をも握ることとなり、その存在感は低下していって、2023年(癸卯)の任期満了を以て政界を引退した。
どうだろう、運勢を読む糸口は見つかっただろうか?
以下、私見を述べる。
氏の出世のキーマンは胡錦濤だが、彼と出会った大運(29~38歳)は己卯だから、官がテーマで、地支は三合会局だから、仕事を中心に一気に運が展開する。
つぎの大運も官で、49~68歳は財が周り、強い根が月支と年支にある。働き盛りのときにずっと仕事運と財運は良かったのだ。
加えて、49歳からは大運天中殺で、ここで異例の出世を遂げて次期後継者と目されるまでになっているのは、禄中殺の陽転の影響もあるのかもしれない。
午亥暗合双連
そして、忘れてならないのは、命式にある日干支と月干支との関係だ。
天干が比和、地支は亥と午なので蔵干がすべて干合する。
これを「午亥暗合双連」といって、強い虚気を生みだすひとだと解釈する。
虚気をだすとは、本来の自分とは違う自分を演じられるということだ。
氏のような政治家の場合はカリスマ性というかたちで具現化されることが多いし、芸能人であれば不思議な魅力で売れたりする。
あるいは、干合が新しい気を生みだすことから、新しいものやアイデアを生みだすひととも解釈できる。
氏は月干支と午亥暗合双連の関係だが、月干支は家系、あるいは(拡大解釈して)自分が属する集団だが、氏にとってそれは共産主義青年団(共青団)だろう。
共青団にすべてを捧げたことで、氏は共青団のなかでカリスマ性を発揮して注目され、そのエリート集団の力で国家のNo.2にまで出世できた。
氏の主星である禄存星と石門星+天将星が存分に発揮された。
李克強の失脚の理由
以上が氏の出世の運勢的な背景だが、失脚の原因はなにか?
現実的には、氏が習近平に忠誠を誓わなかったことと、氏の後ろ盾だった共青団が習近平によって弱体化されたことが理由だろうが、
運勢的には、午亥暗合双連がカギになる。
2014年の59歳の誕生日からは丙子の大運に入るが、これと月干支は天剋地冲になる。
すなわち、月干支=共青団が打たれることで午亥暗合双連の虚気を失うか、あるいは、共青団を捨てて(=月干支を改めて)習近平政権のなかで生き延びるかのどちらかだが、氏は前者を選択した。
人体図には天庫星があるから、氏にとっては当然の選択だったのだろう。
その結果、任期満了を以て引退となり、午亥暗合双連の虚気は完全に失われて、実気に戻された。
高いところまで上がった分、落差も半端なく大きい。
しかも、まだ天中殺=運気が不安定で、かつ、今年は癸卯で日干の強い根である亥が三合会局で木に変化するため不安定になる。
命をとられても不思議ではない。
もし、共青団が権力闘争に勝って氏が総書記になっていたら、運勢は違ったかたちで具現化されていただろし、中国、そして世界は変わっていただろう。
氏の冥福をお祈りしたい。