セネカの名言
ローマ時代の哲学者・政治家セネカの名言に
運命は志のある者を導き、志のない者を引きずっていく
がありますが、「志があれば成就するというのは楽観的すぎる」「ポジティブの極みというか陳腐な言葉だな」と思っていました。
しかし、先日、次の訳に出会いました。
運命は、喜んで受け入れる者を導いて、しぶしぶと望まぬ者を引きずり回す
英語では‘Fate leads the willing and drags along the un willing.’で、‘willing’の前は‘a’ではなく‘the’だから、訳としては後者のほうがしっくりきます。
運命は望みとおりになるものでなく、望んでいない辛い出来事が起こっても、不運だと嘆いたり逃げたりせずに、毅然と受け入れて乗り越えようとする者に運命は手を差し伸べるのだ、という解釈になります。
われわれは、社会生活のなかで、仕事や地位、役割、人間関係など、さまざまなものをまとって生きていますが、人生には幾度か転機があって、それまでまとっていたものがはがされて丸裸にされるときが来ます。
そのとき、ひとは自分と運命に向き合うことになりますが、アメリカの作家ソローが言うように
人間は毅然として現実の運命に耐えていくべきだ。そこには一切の真理が潜んでいる。
ということだと思います。
そこで、ニーチェの「超人」のごとく、「これが生だったのか!よし、もう一度!」と運命を受け入れてまた挑めるかどうかで、そのひとの将来が決まるのでしょう。
命を推すのが占い
進んで逆境をもとめる必要はないと思いますが、逆境のときこそひとは成長するもので、逆境が嫌でリスクを避けてばかりといるのもいかがなものかと思いますし、
セネカの言うように、そのような者はかえって運命に引きずり回されるのでしょう。
ひとは、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命に出会う
と、フランスの詩人ラ・フォンティーヌも言います。
占いは、「当てもの」ではなく、転機や逆境にあるひとの傍らで、人生の来しかた行くすえについてともに想い、乗り越えていく手助けとなるものでありたい、と思います。