パパ活不倫で話題の宮澤博行氏が国会議員を辞職した。
「記憶にございます」と週刊誌記者からの指摘をあらかた認めて、さらに指摘されていないことまで暴露して、私としては(嫌いではないが)なにか違和感がある。
昨年の裏金疑惑のときもそうだった…「しゃべるな! しゃべるな!」と派閥から指示があったとみずから暴露して話題になった。
それに、なにも辞職までする必要はないように思う。
国会議員の不倫やパパ活、セクハラの報道は日常茶飯事で、少し前に報道された「赤ベンツホテル不倫」の広瀬めぐみ氏しかり、謝罪と役職辞任/離党して、あとは世間の関心が薄れるまでジッと待つひとがほとんどなのに、なぜ…。
防衛問題に取り組む志で国会議員になって、防衛副大臣になってこれからというときに、すべてをあっさりと捨ててしまった。
比例復活で当選したから離党で議員を辞めるのは当然…確かにその通りだが、だからといって、そんなにあっさりと辞められるものだろうか…。
あるいは、すべてを認めて辞職までしたのは氏の策略ではないか、という穿った見かたもある。「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もあるが、全面的に謝罪して「そこまでしなくても…」というところまで責任をとることで、逆に世間の同情を買おうとしているというわけだ。
氏も「出来心」ということを強調しているが、誰だって(程度の差はあれ)ほんの出来心で…ということはあり得る。
だから、なにも辞めなくても…と同情しちゃうわけで、メディアでも氏の対応を評価するようなコメントも複数見られる。
本当のところどっちなのかはわからないが、二つの出来事を通じて見える氏の心理構造について、算命学の観点から考察する。